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個人的雑記 東映映画について

01 28, 2014
1、東映時代劇危機の時代
①他社の動き
1961年 黒澤明『用心棒』(東宝)公開
1962年 黒澤明『椿三十郎』(東宝)公開
殺陣における斬撃音、出血描写の登場。東映時代劇の「チャンバラ」に対して「リアリズムの殺陣」と呼ばれる。殺陣師:久世竜。

1962年 三隅研次『座頭市物語』(大映)公開
1963年 田中徳三『眠狂四郎殺法帖』(大映)公開
勝新太郎、市川雷蔵の台頭、スターの交代。「暗い時代劇」の登場→伊藤大輔などの「傾向映画」の影響?

②時代の動き
1958年:11億3000万人
1968年:3億1000万人(山根貞男『活劇の行方』より)
劇場数も急減少。
1961年:新東宝倒産

1960年:安保闘争。大島渚『日本の夜と霧』公開
1963年:NHK大河ドラマ『花の生涯』放送
1964年:東京オリンピック開催
その他、文化大革命・四大公害病・ヒッピー文化・劇画流行 など

③東映時代劇の危機と仁侠映画の登場
1961年:第二東映設立
1963年:ニュー東映閉鎖

1963年 工藤栄一『十三人の刺客』山下耕作『関の弥太っぺ』沢島忠『人生劇場 飛車角』公開
1964年 マキノ雅弘『日本侠客伝』公開
1965年 佐伯清『昭和残侠伝』公開
以後、仁侠映画全盛期へ(~1973年、深作欣二『仁義なき戦い』公開をもって終焉)



2、東映チャンバラ時代劇と東映仁侠映画
仁侠映画:「チョンマゲを取った時代劇」という一般的評価

①山根貞男『活劇の行方』
<ハレ>と<ケ>(民俗学用語)から東映チャンバラ時代劇と仁侠映画の差異を説明。
<ハレ>非日常の世界 <ケ>日常の世界

東映チャンバラ時代劇の<ハレ>:
仲間との親和の中にあり、明朗な映画的世界観により死の要素を無効化

東映仁侠映画の<ハレ>と<ケ>:
賭場や襲名披露→そこには厳しい掟があり、それをもって初めて<ハレ>が表出される
殺陣→<ケガレ>を内面に孕んだ<ハレ>である、死の要素を顕在化させた

②仁侠映画と時代劇映画の相克としての『関の弥太っぺ』
股旅物として、人情話を内包するはず
:実際はやくざ社会の掟の厳しさを描き、「死の気配」を内包した、痛ましい悲劇となった
のちに『博奕打ち 総長賭博』でもみられる「立場への固執」(佐藤忠男『日本映画の巨匠たち③』)の趣きも

しかし、殺陣はまだ斬撃音・出血描写ともにほとんどなく、弥太郎に「やくざ」としての強い自意識や、組織的な束縛は見られない
→股旅物(≒東映チャンバラ時代劇)を引きずっている?

・一人の女性(十朱幸代)を巡る兄弟同士のいさかいが悲劇を生み出す構造


3、『博奕打ち 総長賭博』(1968)と『博奕打ち いのち札』(1971)

1969年 東大安田講堂事件
1970年 三島由紀夫割腹自殺
1971-1972年 山岳ベース事件
1972年 あさま山荘事件
→全共闘運動をはじめとした学生運動の盛り上がり、テロル・内ゲバの時代


『博奕打ち 総長賭博』
(1968.東映京都)
やくざ社会における擬似的親子関係という「立場への固執」が生み出す悲劇、一種の内ゲバ?(ギリシャ悲劇の影響)
→従来の仁侠映画(善なる旧組織 対 悪なる新組織)の構造を一部否定

脚本:笠原和夫によるもの 昭和10年代、日中戦争の拡大に伴う大陸進出政策が背景にある(決して前景化しない)
→まだ「善なる旧組織」という思考を完全否定できない

『博奕打ち いのち札』(1971.東映京都)
男女の恋愛感情を封殺する、やくざ社会の掟(ここでも擬似的親子関係)を初めて明確な「障害」として描写
→従来の仁侠映画における、男女恋愛のプラトニックな関係性とホモソーシャル社会を補填していた「兄弟盃」「親分子分」の関係をようやく否定、唾棄すべき「因習」として描く

『関の弥太っぺ』で見られた男女恋愛と掟の対立構造が再び顕在化
→新左翼における男女恋愛と活動の奇妙な一致(例:若松孝二『天使の恍惚』1972)を無意識に踏襲?
吉本隆明「対幻想」

1973年 『仁義なき戦い』公開
任侠やくざ映画の終焉
→古きよき組織、時代(明治~昭和初期)を否定、終戦直後のカオスと弱肉強食の組織闘争がそれに取って変わられる

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東宝ニューアクションの異端児「白昼の襲撃」

04 14, 2011
監督:西村潔
音楽:日野皓正
出演:黒沢年男(現:年雄)、高橋紀子、出情児、岸田森、緑魔子、殿山泰司 他

仕事を転々としながら悶々とした日々を送る修(黒沢年男)。そんな彼はある日、少年院時代からの親友・佐知夫(出情児)とあるバーで出会い、拾ったという拳銃を渡される。その拳銃を使いスーパー強盗などをして暮らす修達だったが、ある日車泥棒をしようとした際、ふとした拍子で大学生を射殺してしまうところから運命の歯車が狂っていく...


かつて東宝ニューアクションというジャンルがありました。「狙撃」「弾痕」「薔薇の標的」「野獣死すべし 復讐のメカニック」や「野獣都市」に至るまで、制作されたのは極めて短期間(1969年~75年ぐらい)ながら非常に刺激的な作品が多いです。しかし、現在のDVD化でもかなり冷遇されているのも事実です。(最近ほんの一部の作品だけDVD化されましたが)

中でも、松田優作氏曰く「東宝ニューアクションの唯一の担い手」こと西村潔監督の作品は冷遇されており、東宝が出したのは「豹は走った」「黄金のパートナー」の二本のみ。その他キングレコードから「ヘアピン・サーカス」(残念ながら僕は未見ですが傑作との話です)がDVD化されていますが、初期の二本(「死ぬにはまだ早い」「白昼の襲撃」)はビデオ化すらされませんでした。まあそもそも監督本数が少ない方なんですが。

今回はそのうちの一本です。(昨年チャンネルNECOにて録画)

なんというか、金が掛かってないのが良く分かる映画です。しかしそれを独特のシャープな映像感覚で処理してしまう西村監督の手腕はさすが。日野皓正の気だるいトランペットもマッチしています。

なにより岸田森との対比が素晴らしい。インテリで人を殺したこともない男と、生まれたときから不幸な人生を歩んできた男。同じような事を行いつつもその志向が全く異なる。将来のためのテロ計画に金を使う岸田森、ただただ刹那的な暴走をしていく黒沢年男。しかし行き着く先は同様に「死」。

結局登場したキャストの殆どが死んでいくのだが、どこまでも往生際が悪いのは殿山泰司。これも戦前からのやくざと戦後派のコントラストを意識してるのかな、「仁義なき戦い」の金子信雄と菅原文太のごとく。

しかし、いくらやくざが出てきても組長が洋風の一軒家に住んでいるのはやっぱり東宝の映画といった感じ。(正確には東京映画だけど)

ところで、なぜ東宝ニューアクションの「異端児」なのかというと、「プロ」が出てこないからです。「狙撃」「弾痕」「豹は走った」「薔薇の標的」はいずれも殺しのプロの話。「ヘアピン・サーカス」「死ぬにはまだ早い」もプロは出てくる。
しかしこの映画は徹底してアマチュア、というか素人です。だから収拾が付かなくて皆殺しという凄まじいラストに繋がっていく。(他の映画だとプロなりの収拾の付き方とをしてますね)


ただ、この映画は登場する若者3人の描き方が類型的すぎる。もはや「ズッコケ三人組」レベル(というのはさすがに失礼だけど)。あと、それぞれの生い立ちが結局台詞で処理されちゃっているのも残念でこれが原因でラストに感情移入があまりできない。

まあ是非見て欲しい傑作というほどではないが佳作でありました。ちなみに西村監督の処女作「死ぬにはまだ早い」は大傑作でございますが、これはまた別の機会に...


やっぱ邦画のがサラサラ語れるなあ。次の映画は未定でありますが深作欣二監督作あたりを書けたらいいなと思ってます。
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