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『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』『にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻』

11 29, 2012
1972年・制作=東京映画 配給=東宝
原作:五木寛之
脚本:長野洋・岡本喜八
監督:岡本喜八
出演:小林桂樹、ミッキー安川、岡田裕介、藤岡麻里 ほか

岡本喜八監督による2部作で、1970年代岡本喜八の多彩なフィルモグラフィの中でも、SFである『ブルークリスマス』を除けば、唯一同時代の問題を積極的に扱った作品。戦中派・戦後派・戦無派の三人が新宿騒乱(10.21騒乱がモデルか)の中でやむにやまれぬ事情から家庭や職場を追われ、東京を飛び出し、貨物列車で一路博多へ。博多でお世話になったスラム街が再開発のあおりで立ち退きを要求される事態になり、いてもたってもいられなくなった彼らは立ち退き騒動に介入していく...というお話で、学生運動・新宿フォークゲリラや高度経済成長の歪みといった、岡本喜八作品ではあまり描かれない戦後史的視点が入ってくる。

この2作品、岡本喜八らしい部分とそうでない部分(五木寛之らしさ、とでも言おうか)が混在していてまことに妙な気分になる。まず、三人の人物造型についてだが、小林桂樹はさすがに喜八組常連だけあり『江分利満氏の優雅の生活』をさらに過激にしたキャラでとにかく動き回り物語を牽引する。岡田裕介は喜八映画出演数は全4本と少ないもののその若さと、仲代達矢を彷彿とさせるモヤモヤ感、そしていざとなったらいてもたってもいられなくなる性分という岡本喜八の若者への希望を仮託したようなキャラとなっている。問題はミッキー安川だ。彼はなにかといえば理論ばかりが専攻し、内にこもる、おまけにEDという喜八映画らしからぬキャラだ。これはどちらかといえば五木寛之色が強いキャラなのではないだろうか。(ぶっちゃけ喜八テイストに全く合ってない。)

物語にしても、前編『おさらば東京の巻』では喜八映画らしくキャラが己の任務を飲み込み、とにかくありったけの力を投入してぶつかっていく、というバイタリティ溢れる形ではなく、新宿騒乱に否応なく巻き込まれていく、という形であり、特に岡田裕介と藤岡麻里が巻き込まれる地下フォークゲリラなど喜八らしくない「異議なし!」「ナンセンス」という言葉が飛び交う。ところが小林桂樹がそこにやってきて歌を歌うあたりから俄然喜八らしさは戻ってくる。特に「この歌は10まであるんだ、俺はまだ5までしか歌ってねえぞ!」と怒り狂う場面など「やっぱこれだ!」と思うほどにエネルギーが暴発した名(迷?)場面である。
後半は打って変わって、強制立ち退きにミッキー安川は怒り、岡田裕介は大学へと飛び出し、小林桂樹は仁侠映画よろしく戦いに備える。そして中盤の激突場面などは『赤毛』の「ええじゃないか」も若干思い出すロングショットにより渾身のぶつかり合いを捉えている。一方で岡田裕介と藤岡麻里のラブシーンの生々しさなどは前期喜八作品にはなかったものでロマンポルノの影響下にあるような気がしてならない。どうでもいいが田中邦衛が出ると画面が締まる。

それでも、ラストの結局立ち退き・殴りこみも中途半端な結果に終わり丸め込まれつつ旅を続けるラストには何かしらのモヤモヤが残る。立ち退きをサラっと流してしまうあたり多くの喜八作品に見られる「弱者へのやさしい視点」が欠如してるように見えてならないのだ。これが原作の五木寛之の持ち味だといってしまえばそれまでだが、「らしくない」終わりである。

ただ、この映画(2本で1本)は『肉弾』『ダイナマイトどんどん』よりも後、『近頃なぜかチャールストン』よりも前の微妙な時代を描き出しており、上手く言語化は出来ないが、(描写時代順的に)『赤毛』『吶喊』にはじまる(場合によっては『戦国野郎』を含む)喜八歴史観の中でも重要な位置を占めているような気がするのである。
仁侠映画との繋がりという点で行けばやはり『ダイナマイトどんどん』(1978)とのつながりも気になるが長くなりそうなので止めておく。
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