『舟を編む』
04 14, 2013
2013年 製作=「舟を編む」製作委員会(リトルモアが企画・製作の中心) 配給=松竹・アスミックエース
原作=三浦しをん
脚本=渡辺謙作
監督=石井裕也
出演=松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョー、加藤剛、小林薫、八千草薫、伊佐山ひろ子、ほか
主演の二人が好きな俳優なので観に行ったら予想外に大当たりの傑作であった。主人公の住む下宿「早雲荘」の一種浮世離れしたファンタジックな雰囲気は素晴らしく、美術・照明・撮影が本当に良い仕事をしており、改めて35mmフィルムの奥深さを実感した。もちろんここで交わされるコミュニケーションこそが肝であるが。
また、不器用ながらも必死に人とコミュニケーションを取ろうとする松田龍平も良いが、なんといってもオダギリジョーである。特に「大渡海」中止の噂を聞いたあとの彼の間の取り方と表情は素晴らしい。
ところで、この作品は1995年を起点としている。一方で近ごろ妙にバブル期前後を舞台にした映画が多い。たとえば『横道世之介』『苦役列車』などである。論理学に「逆、裏、対偶」という区分がある。それを用いてこの2年間の映画を並べてみよう。(もちろん正確な使用法からはほど遠いが、整理のために便宜的に用いる)
命題(表):『横道世之介』 (逆):『苦役列車』
(裏)・『ぼっちゃん』 (対偶):『舟を編む』
この4本は「コミュニケーションを取れない若者」を描き出している点で共通している。『横道世之介』は携帯もパソコンも普及していない時代をノスタルジックかつファンタジックな寓話として描き、『苦役列車』はバブル期の浮かれ気分と閉塞感に真っ向から斬り込んだ意欲的傑作だ。一方で『ぼっちゃん』は現代を舞台に『苦役列車』同様に派遣労働者を主人公に据え、『横道世之介』同様に世間からややズレた若者の青春を描きつつ、『世之介』と真逆の激しい閉塞感と暴走(爆発?)を描いている。
自分は『世之介』を全く高く評価していないのだが、本作を見てなんとなくその理由が分かった。今作では主人公・馬締は自らの殻を打ち破ろうとして曲がりなりにも努力をしようとしており、自らのコミュニケーションに苦しんでいる。それに対し世之介はあくまで「浮かれた時代」を体現している(あるいは「時代と寝ている」)ようにしか見えず、したがって成長もほとんどせず(セリフでは成長した風な言い回しがあるが全くそうは見えない)、周囲の人物とのコミュニケーションを感じられないのだ。もっといえばコミュニケーション不全であるにもかかわらず苦しんでいない、屈託のない笑顔はごまかしである。
閑話休題。全篇にわたってコミュニケーションが非常にスリリング(特に主演の二人)でありながらも爽やかさと軽快さを兼ね備えた善意と美徳に満ちたこの映画、必見ですよ。
P.S.藤井仁子氏がパンフレットに寄稿しているそうなので買って読もうと思う。
原作=三浦しをん
脚本=渡辺謙作
監督=石井裕也
出演=松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョー、加藤剛、小林薫、八千草薫、伊佐山ひろ子、ほか
主演の二人が好きな俳優なので観に行ったら予想外に大当たりの傑作であった。主人公の住む下宿「早雲荘」の一種浮世離れしたファンタジックな雰囲気は素晴らしく、美術・照明・撮影が本当に良い仕事をしており、改めて35mmフィルムの奥深さを実感した。もちろんここで交わされるコミュニケーションこそが肝であるが。
また、不器用ながらも必死に人とコミュニケーションを取ろうとする松田龍平も良いが、なんといってもオダギリジョーである。特に「大渡海」中止の噂を聞いたあとの彼の間の取り方と表情は素晴らしい。
ところで、この作品は1995年を起点としている。一方で近ごろ妙にバブル期前後を舞台にした映画が多い。たとえば『横道世之介』『苦役列車』などである。論理学に「逆、裏、対偶」という区分がある。それを用いてこの2年間の映画を並べてみよう。(もちろん正確な使用法からはほど遠いが、整理のために便宜的に用いる)
命題(表):『横道世之介』 (逆):『苦役列車』
(裏)・『ぼっちゃん』 (対偶):『舟を編む』
この4本は「コミュニケーションを取れない若者」を描き出している点で共通している。『横道世之介』は携帯もパソコンも普及していない時代をノスタルジックかつファンタジックな寓話として描き、『苦役列車』はバブル期の浮かれ気分と閉塞感に真っ向から斬り込んだ意欲的傑作だ。一方で『ぼっちゃん』は現代を舞台に『苦役列車』同様に派遣労働者を主人公に据え、『横道世之介』同様に世間からややズレた若者の青春を描きつつ、『世之介』と真逆の激しい閉塞感と暴走(爆発?)を描いている。
自分は『世之介』を全く高く評価していないのだが、本作を見てなんとなくその理由が分かった。今作では主人公・馬締は自らの殻を打ち破ろうとして曲がりなりにも努力をしようとしており、自らのコミュニケーションに苦しんでいる。それに対し世之介はあくまで「浮かれた時代」を体現している(あるいは「時代と寝ている」)ようにしか見えず、したがって成長もほとんどせず(セリフでは成長した風な言い回しがあるが全くそうは見えない)、周囲の人物とのコミュニケーションを感じられないのだ。もっといえばコミュニケーション不全であるにもかかわらず苦しんでいない、屈託のない笑顔はごまかしである。
閑話休題。全篇にわたってコミュニケーションが非常にスリリング(特に主演の二人)でありながらも爽やかさと軽快さを兼ね備えた善意と美徳に満ちたこの映画、必見ですよ。
P.S.藤井仁子氏がパンフレットに寄稿しているそうなので買って読もうと思う。