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『クロユリ団地』

05 26, 2013
2013年 企画・製作幹事:日活 製作:「クロユリ団地」製作委員会 配給:松竹
脚本:加藤淳也、三宅隆太
監督:中田秀夫
出演:前田敦子、成宮寛貴、勝村政信、西田尚美、田中奏生、高橋昌也、手塚理美 ほか

 中田秀夫監督、ひさびさのオリジナルホラー映画であり、かつ前田敦子のAKB48卒業後初の主演映画である。私事だが、知り合いの知り合いがこの映画の主要スタッフで事前にいろいろ話を聞いていたこともあり期待度は非常に高かった。その期待を見事に裏切らない今年屈指の傑作であった。突然始まるPOVショット、流麗なカメラワーク(撮影は林淳一郎)と光と影の演出(照明は中村裕樹)、ラストシークエンスにおけるまさに現代の「怪談」であることを如実に示す独特の人工的な美術と照明など、褒め始めたら枚挙にいとまがないが鑑賞中に少し考えたを綴っておく。


この映画で特徴的なのは「反復」である。老人の目覚まし時計に毎朝起こされる主人公、繰り返し映される俯瞰の公園の遊具、デジャブ感あふれる家族との朝食での団らん、主人公と少年の砂場での交流...などは一度観た方ならすぐに思い出せるであろう。(あるいは若干劇場内では苦笑が混じっていた祈祷の場面も比喩でなく同語反復をしている)

一方でこの映画は「中田秀夫のホラーの集大成」(=つまり「反復」の集合体である)と位置づけられているが、中田ホラーで多くの人がすぐ思い出すのは『リング』である。『リング』(1998)では繰り返しビデオテープを反復して再生する。あるいはデビュー作『女優霊』(1996)ではフィルムに焼き付いた幽霊を確認するために何度もフィルムは巻き戻され再生される。それだけでなく劇中で撮影されている映画も何度も(現場、カメラ視点、ラッシュ試写など)反復される。そして「団地」はむろん『仄暗い水の底から』を想起させる。このように中田秀夫の作品をざっと総覧しただけでもこのように「反復」イメージはメタな視点からも多くあげられる。(もっと言えば上記の同シチュエーションの反復は黒沢清の代表的傑作『CURE』(1997)を想起させるかもしれず、もはや中田秀夫のみの「反復」にとどまらない)

「境界の侵犯」というイメージも反復される。『女優霊』では柳ユーレイ演じる主人公は危険なキャットウォークから安全な小部屋へと逃げ込むが、幽霊は扉を開けて彼を自らの世界へと引きずりこむ(あるいは、それまでまったく不可蝕であった幽霊が完全に実体化してしまう点でも「境界侵犯」かもしれない)。『リング』ではいわずとしれたテレビから貞子が出てきて人を襲う場面を想起してほしい。このいずれも安全地帯が危険な存在によって浸食されているが、今作でもラストシークエンスにおいて部屋のドアを開けるか否かの葛藤が描かれている(無論危険なのはドアの外であり、安全なのはドアの中=部屋である)。

さて、このようにいくつもの重層的な「反復」が本作を濃厚に覆っていることは分かるが、しかし我々はなぜ「反復」するのであろうか。結論から言ってしまえば一回では「分からない」「処理できない」からである。たとえば、卑近な例で申し訳ないが繰り返し漢字を練習するのは一回で覚えられないから、とういことである。
「反復」が「処理できない」事象を処理しようとする働きであるという観点からラストを思いだそう。先ほど述べたような「反復」試行である祈祷は、「境界侵犯」(=メタ的な「反復」)により中断され、失敗する。そして成宮演じるもう一人の主人公は襲われてミノルの世界に引き込まれる、まあありていにいえば殺される(これもメタ的な「反復」であろう)。そして前田敦子演じる主人公は反復の外に置かれる(=もはや「反復」の対象とならない)のだが彼女は狂乱状態となり家族が生きていた頃の自分へと記憶退行を引き起こしてしまう。そして二度と戻らないであろう事が暗示されるが、これは彼女が自らを「幸福」の「反復」(=あるいは「反芻」といってよいかもしれない)によって自らを「閉鎖」に追い込む、無限連鎖的反復状態に陥ってしまうのだ。

いくつもの「反復」イメージが「反復」を打ち消し、新たな「反復」を呼んでしまう本作、いままでデジタルメディアで何度も「再現」される恐怖を描いてきた中田監督だが、彼の師匠である蓮實重彦が敬愛するゴダールが「映画はこれ以上、観客に新しいものを提供することはできないだろう。」という言葉を思い出してほしい。いくつもの「反復」は一見それを裏付けてしまっているようにも見える。
が、しかしである、それでも作品はどんなかたちであれ作られ続ける。そして中田秀夫はオリジナル作品で自らの過去を総覧しつつも、そしてそれを決して精算することなく、前田敦子という女優の身体を借りて「怪談」というフィールドに駒を進めたのである(過去に『怪談』という映画はあったがあくまで「現代」において「怪談」を作り出した点を評価したい)。本作は、新しいものを生み出せない時代に新たなる挑戦をしようと「次」を見据えるいま観るべき傑作である。
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