『ペコロスの母に会いに行く』
12 03, 2013
2013年・製作=「ペコロスの母に会いに行く」製作委員会(素浪人、TCエンタテインメント、フォーライフミュージックエンタテインメント、東風)
制作プロダクション=素浪人 配給=東風
原作=岡野雄一
脚本=阿久根知昭
撮影=浜田毅
監督=森崎東
出演=赤木春恵、岩松了、原田貴和子、加瀬亮、原田知世、松本若菜、温水洋一、大和田健介、原田知世 ほか
森崎東監督9年ぶりの新作にして、クラウド・ファンディングという面白い手法で製作されたインディペンデント映画でありながら全国80館規模で上映される、という異例ずくめの映画(私も地元のシネコンで鑑賞した)。公開から2週間経ち、自分自身も見てから二週間経ってしまい若干記憶があいまいな部分もあるが、森崎監督の「記憶は愛である」という言葉に(意味もなく)励まされ、記事を書くことにした。
ここ数ヶ月の日本映画は「距離感」といったものを感じる映画が多い。例えばタナダユキの新作『四十九日のレシピ』、母親であることとそうでないこと、夫と妻の距離感というものを描き出していた。ゆえに前半の展開は白眉で、生家の目の前に横たわる川はその絶望的距離感を象徴していたが、一方で終盤の終わらせ方にはあまりにも難があった。あるいは話題になった大ヒット作『そして父になる』もさまざまな距離感を描き出していたが、打開策の動機がいまいち不明確であった。
この『ペコロス』も、前半は認知症を逆手に取った喜劇仕立てで進むが、中盤にかけて急速にあらゆる距離感と不安が頭をもたげてくる。
赤木春恵のボケは中盤になって進行していき、次第に周囲の人物たちとの言動の乖離が著しくなっていく。あるいは過去の回想でのみつえとちえ子の人生での齟齬も急速に進んでいき、過去シーンが「回想」として機能し始めてしまったとき、さとるとみつえの間にもも決定的な「死」というものが横たわっていることを否応なく意識させられる。そして現在のみつえのその先に、長崎という強制的に十字架を背負わされた街と無関係でもあるまいが、当然「死」というものは連想されてしまってしかるべきだろう。
しかしこの映画はこの後決定的なショットを作る。すなわち大和田健介が居酒屋へと入っていくPOVショットである。
このPOVの効用についてはさまざまな見解があろうが、私は、濱口竜介が『甦る相米慎二』(2011.インスクリプト社)で触れたように、カメラが、いや映画それ自体がスクリーンと我々を隔てる境界線(あるいは登場人物を傍観する冷徹な目線)であることを降りて、自らがその作品の世界に没入していく起点となった、と考えるのが自然では在るまいかと思う。
とにかくも、居酒屋での長崎ランタンフェスティバルに関する岩松父子の対話、あるいは花街における原田母子とちえ子(原田知世!)の決定的な邂逅(すれ違い)、この映画は現在と過去、あるいは生と死といったイメージが次々と登場し、そして両者の境界線は次第にあいまいになっていく。
そしてみつえが眼鏡橋に向かって歩き出したとき、あるいは岩松了・大和田健介が祝祭に彩られる街を駆け出したとき、いや、ちえ子の死が決定的に迎えられてしまったとき、それまであった「絶望的距離感」は一瞬にして、しかしこの映画のすべての時間を賭けて、無化される。すなわち現在と過去(記憶)・生と死・老いと若さ、それらがすべてひとつに繋がり、この映画のもっとも感動的(少なくとも私は号泣した)な、あの「眼鏡橋の集合写真」に結実するのだ。
(2014.1.8 以下加筆修正)
あるいは、森崎の出身である松竹映画の文脈を意識してみよう。吉田喜重は『小津安二郎の反映画』(岩波書店)で小津の『晩春』をして「すべてが手遅れの物語」であると書いており、藤井仁子は『森崎東党宣言!』(インスクリプト)で森崎東を規定しているのが(同世代に対しても撮影所時代に対しても)「遅刻」であると評した。この「遅刻」という観点から見れば『ペコロス』はみつえの過去シーンから明らかなように「手遅れの説話」の数珠繋ぎのような物語である。あるいは吉田喜重が前著で書くように小津の映画における、あるいは同じ松竹喜劇の担い手であり本作と同年公開の『東京家族』における、家族の記念写真はその後の「死」を連想させ、家族の危機を予感させるが、上記にも触れた、本作における記念撮影はすでにその「死」からですら遅刻してしまっており、そこには(山根貞男も触れている)現在形の絶対的肯定がそこに存在するだけである。本作では、高橋洋の言うところの「光学的にありえない方法」で記念写真の「予感」を乗り越えた、いや言葉が悪いのであれば「反抗」してみせたのであり、私は文句のない喝采を送りたい。
改めて言う。『ペコロスの母に会いに行く』は2013年屈指の大傑作だ。
制作プロダクション=素浪人 配給=東風
原作=岡野雄一
脚本=阿久根知昭
撮影=浜田毅
監督=森崎東
出演=赤木春恵、岩松了、原田貴和子、加瀬亮、原田知世、松本若菜、温水洋一、大和田健介、原田知世 ほか
森崎東監督9年ぶりの新作にして、クラウド・ファンディングという面白い手法で製作されたインディペンデント映画でありながら全国80館規模で上映される、という異例ずくめの映画(私も地元のシネコンで鑑賞した)。公開から2週間経ち、自分自身も見てから二週間経ってしまい若干記憶があいまいな部分もあるが、森崎監督の「記憶は愛である」という言葉に(意味もなく)励まされ、記事を書くことにした。
ここ数ヶ月の日本映画は「距離感」といったものを感じる映画が多い。例えばタナダユキの新作『四十九日のレシピ』、母親であることとそうでないこと、夫と妻の距離感というものを描き出していた。ゆえに前半の展開は白眉で、生家の目の前に横たわる川はその絶望的距離感を象徴していたが、一方で終盤の終わらせ方にはあまりにも難があった。あるいは話題になった大ヒット作『そして父になる』もさまざまな距離感を描き出していたが、打開策の動機がいまいち不明確であった。
この『ペコロス』も、前半は認知症を逆手に取った喜劇仕立てで進むが、中盤にかけて急速にあらゆる距離感と不安が頭をもたげてくる。
赤木春恵のボケは中盤になって進行していき、次第に周囲の人物たちとの言動の乖離が著しくなっていく。あるいは過去の回想でのみつえとちえ子の人生での齟齬も急速に進んでいき、過去シーンが「回想」として機能し始めてしまったとき、さとるとみつえの間にもも決定的な「死」というものが横たわっていることを否応なく意識させられる。そして現在のみつえのその先に、長崎という強制的に十字架を背負わされた街と無関係でもあるまいが、当然「死」というものは連想されてしまってしかるべきだろう。
しかしこの映画はこの後決定的なショットを作る。すなわち大和田健介が居酒屋へと入っていくPOVショットである。
このPOVの効用についてはさまざまな見解があろうが、私は、濱口竜介が『甦る相米慎二』(2011.インスクリプト社)で触れたように、カメラが、いや映画それ自体がスクリーンと我々を隔てる境界線(あるいは登場人物を傍観する冷徹な目線)であることを降りて、自らがその作品の世界に没入していく起点となった、と考えるのが自然では在るまいかと思う。
とにかくも、居酒屋での長崎ランタンフェスティバルに関する岩松父子の対話、あるいは花街における原田母子とちえ子(原田知世!)の決定的な邂逅(すれ違い)、この映画は現在と過去、あるいは生と死といったイメージが次々と登場し、そして両者の境界線は次第にあいまいになっていく。
そしてみつえが眼鏡橋に向かって歩き出したとき、あるいは岩松了・大和田健介が祝祭に彩られる街を駆け出したとき、いや、ちえ子の死が決定的に迎えられてしまったとき、それまであった「絶望的距離感」は一瞬にして、しかしこの映画のすべての時間を賭けて、無化される。すなわち現在と過去(記憶)・生と死・老いと若さ、それらがすべてひとつに繋がり、この映画のもっとも感動的(少なくとも私は号泣した)な、あの「眼鏡橋の集合写真」に結実するのだ。
(2014.1.8 以下加筆修正)
あるいは、森崎の出身である松竹映画の文脈を意識してみよう。吉田喜重は『小津安二郎の反映画』(岩波書店)で小津の『晩春』をして「すべてが手遅れの物語」であると書いており、藤井仁子は『森崎東党宣言!』(インスクリプト)で森崎東を規定しているのが(同世代に対しても撮影所時代に対しても)「遅刻」であると評した。この「遅刻」という観点から見れば『ペコロス』はみつえの過去シーンから明らかなように「手遅れの説話」の数珠繋ぎのような物語である。あるいは吉田喜重が前著で書くように小津の映画における、あるいは同じ松竹喜劇の担い手であり本作と同年公開の『東京家族』における、家族の記念写真はその後の「死」を連想させ、家族の危機を予感させるが、上記にも触れた、本作における記念撮影はすでにその「死」からですら遅刻してしまっており、そこには(山根貞男も触れている)現在形の絶対的肯定がそこに存在するだけである。本作では、高橋洋の言うところの「光学的にありえない方法」で記念写真の「予感」を乗り越えた、いや言葉が悪いのであれば「反抗」してみせたのであり、私は文句のない喝采を送りたい。
改めて言う。『ペコロスの母に会いに行く』は2013年屈指の大傑作だ。