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『東京家族』

02 10, 2013
2013年 制作・配給:松竹
出演:橋爪功、妻夫木聡、蒼井優、吉行和子、西村雅彦 ほか

まずはじめに断っておくが、この映画を『東京物語』と比べるのはあまり意味がないように思う。ひとつには『東京物語』が松竹の撮影所システムの中で、小津安二郎という監督によって演出された映画であるのに『東京家族』は製作委員会方式で、山田洋次という職人が演出した作品だという違いもある。また、1953年の問題と2013年のアクチュアルな問題は同軸で語りようがない。それが如実に表れているのは原作クレジットの不在だ。
と、前置きはともかくそもそももうかれこれ5、6年『東京物語』を観ていないので比べようがない。やはり印象に残った場面から話を広げていこう。

まず印象に残ったのはホテルで二人がぼんやりと夜景を眺める場面。単純に「山田洋次がこんな画撮れるんだ!」と驚きだったし、橋爪功の『第三の男』回想も、台詞をあえて言わないのはかなり良い。まあ言わずとしれたスイスの時計のたとえだが、この60年で映画の何が変わったか、いや何も本質的には変化していまい、という自己言及のようにも思えた。
しかしやはりいまいち単一の線が見えなかった前半に比して後半、妻夫木と蒼井優、吉行和子の三人が繰り広げるドラマ、とも呼ぶのもはばかられる交流は山田洋次の専売特許で抜群にいいなあ、と思ってしまう。
それまで少々感情移入しづらい人物だった中嶋朋子や林家正蔵、西村雅彦も吉行和子の死を通じて、優しさを見せる(西村の「あなたはここにいてもいいんだ」には不覚ながら泣かされた)。この人間の描き方の「優しさ」こそは山田映画の最大の魅力だと個人的には思うのだが、まあなんというか、妻夫木聡と蒼井優は、20年前の吉岡秀隆と後藤久美子でも代替可能だよなあ、とか吉行和子はやっぱり寅さんポジションだよなあ、とか思うのだ。

では仮にこれを『男はつらいよ』と仮定して、吉行=寅さんが死んだドラマだと読み直すとどうだろう。寅さんが死んだ後にドラマはあるのであろうか。やはり厳しかったと言わざるを得ない。
ドラマのピークは間違いなく吉行の死であり、西村の「あなたはここにいてもいいんだ」であり、橋爪の「おい正次、母さん死んだぞ」であるはずなのだ。これだけで十分に妻夫木と蒼井優はその関係と存在を承認されている。これで映画が終わっても少なくとも僕は納得して劇場を出る。
しかし、この映画は寅さんが死んだ(≒渥美清が死んだ=『男はつらいよ』は終了した)あとの世界を描いた。なぜそれが必要だったか。橋爪功の存在だ。寅さんでいえば彼は存在しない、強いて言えばマドンナだ。マドンナは『男はつらいよ』において満男の恋と無関係に描かれる。だから今作でも妻夫木と橋爪、蒼井優のドラマは描く必然性がない。だが、山田は丹念に蒼井と橋爪の関係、そして妻夫木への思いを描いてしまった。ドラマのピークを完全に過ぎてしまい、みんなは寅さんのことを忘れ始めた(現実の2013年でもそうである)のにドラマが続く。これは辛い。思い切って広島の場面は全部切り落とすべきだったと思う。

確かに労作であるし、秀作ではあるが、『東京物語』に引っ張られすぎ、冗長さを残した映画だった。
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『偽大学生』

02 10, 2013
1960年 製作・配給:大映
原作:大江健三郎『偽証の時』 脚本:白坂依志夫
出演:ジェリー藤尾、若尾文子、伊丹一三、船越英二 ほか
監督:増村保造

原作者の大江健三郎がテレビ放送もソフト化も認めないため、劇場公開でしかお目にかかれない一本。今回は新文芸坐の若尾文子特集で鑑賞した。
東大に四年連続で落ちた浪人生が、せめて気持ちをごまかすために東大生のふりをしていると、とある事情から学生運動に巻き込まれ...という話。
とにかく全篇暗い。救いがないラストもさることながら、主人公が歴史研究会の部室に監禁されるところなど、まさに白眉だ。ひょっとしてこいつはスパイでもなんでもないのでは、と疑う者もいればそれを否定する者もいる。しかし、双方の主張がまったくの主観で説得力を持たないため、彼らが横暴な権力者として敵対する警察よりもはるかに横暴な行為を働いているように見える。また、実質的にはなにも機能していない伊丹一三は最後になってリーダー面をするが、完全に精神錯乱となったジェリー藤尾がその場のイニシアチブを全部奪ってしまい、伊丹が困惑している場面は酷い場面ではあるがむしろ痛快だった。

しかし、この映画の最大の名シーンと言えば、ジェリー藤尾の下宿でご飯を食べる場面だろう。ただ飯を食らい、ジェリー藤尾にもてなさせているのに誰もそのことに感慨も感謝の念も抱かず、あげくに稚拙な彼の言動を冷ややかな目で見る面々。だが、別の場面で若尾が「みんながあなたのことなかなか面白い奴って言ってたわよ」というのは本当に不快である。基本的に何に対する闘争なのかがまったく描かれないのも、むしろ言を弄する学生運動連中のいい加減かつ選民思想的な側面に拍車をかける。
強者の論理によって弱者がつぶされていく。1960年の映画ではあるがいま現在でもまったくもってアクチュアリティを失わない、現在だからこそ顧みられるべき傑作だった。
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『悪の教典』

11 30, 2012
2012年 製作=東宝,電通,文藝春秋,OLM,A-team,日本出版販売 制作プロダクション=東宝映画、OLM 配給=東宝
原作:貴志祐介
脚本・監督:三池祟史
出演:伊藤英明、染谷将太、二階堂ふみ、吹越満 ほか

2011年の「このミステリーがすごい!大賞」をはじめとした各賞を受賞した貴志祐介の同名小説を映画化した本作。東宝配給作品としては『告白』以来2年ぶりのR-15指定作品(しかも製作委員会幹事で直接制作も行っている)で、個人的には『告白』を割りと気に入っていたので、サイコパスを描いたこの作品は果たしてどうなのか期待して観た。

前半は至って普通の学園ドラマの延長線的なストーリーで、ところどころ蓮実の行動がおかしい部分があるが、まあ撮り方もスタンダードで特に意外性はない。強いていえば人物同士の関係性が明らかになる。そしてテストでカンニング防止のために妨害電波が流される辺りから中盤へ。
ここから少しずつおかしくなっていく。クラスの女子の家が火事で全焼、吹越満演じる根性の曲がった教師が蓮実を疑っていることが明らかになり、同時に染谷将太らが徐々に疑念を強めていき、そしてクラスで蓼沼が問題を起こしたその日の夜に行方不明になる。そして、核心に迫った吹越満と染谷将太が蓮実に殺害される辺りからいよいよ物語は完全に学園ドラマという枠を超えて、サイコキラー映画としての凶暴な性格を見せていく。
染谷を運ぶ軽トラの俯瞰映像に突如右手から侵入してくる男、そして回想場面はそれまでロングショットを比較的多用していたのとは対照的に極めて箱庭的な世界の中で展開していく。(特に、蓮実が相棒を焼き殺す場面の箱庭感はすばらしい!)そして、ミヤの殺害を決行した直後に別のクラスの女子が現れ、犯行隠蔽が困難になり、そのまま散弾銃による大量殺戮(ないし蹂躙・虐殺、といったところか)へとつながっていくが、確かに山田孝之の死に様は笑えるし、「マック・ザ・ナイフ」が流れる中で丹念に一人ずつを撃ち殺していく屋上前階段のシーンはまさに「カ・イ・カ・ン」だし(笑)、アーチェリーとの対決があっさり決着がつくシーンなどは定石外しの楽しさに溢れているが、殺害方法がひとつというのはやや単調(これは『アウトレイジビヨンド』や『アウトレイジ』後半でも感じた問題だ)。また、岡本喜八が「アクションはアタック&カウンターで作っていく」という言葉を少し思い出してしまったのだが、生徒側の反撃が少なすぎるのもやや残念。

ところで、感じたことを少し雑感として記しておくと、とにかく「動」と「静」の対比ということが気になった。映画全体で言えば前半の「静かな」展開に比べ終盤は怒涛の展開を迎える。また走って金きり声を上げて走って逃げる生徒をほとんど動かずに撃ち殺す蓮実、そして生徒の大半が殺されて「動かなく」なっていく中でモリタートを吹きつつ、積極的に動き回っていく、という風に変化していく。また、主観と客観というのは『告白』、さらに振り返れば『ユージュアル・サスペクツ』でも問題になったが、今作でも猟銃についた目や最終盤の二階堂ふみのカラスのようなにごった目は単に蓮実の幻覚なのか、なにかしらの意図の下の映像なのか判断し辛い。
それにしてもtwitterでも書いたが「THE WORLD IS YOURS」とは恐れ入った。やはりこれは三池版『スカーフェイス』なのだろうか。個人的には『野獣死すべし』(原作版)に近い匂いを感じたが...

後半の大量殺戮場面にはやや不満が残るものの、こういった作品がエンターテインメント映画として成立するあたり、日本映画界も捨てたものではない、と切に感じた一本だった。
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『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』『にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻』

11 29, 2012
1972年・制作=東京映画 配給=東宝
原作:五木寛之
脚本:長野洋・岡本喜八
監督:岡本喜八
出演:小林桂樹、ミッキー安川、岡田裕介、藤岡麻里 ほか

岡本喜八監督による2部作で、1970年代岡本喜八の多彩なフィルモグラフィの中でも、SFである『ブルークリスマス』を除けば、唯一同時代の問題を積極的に扱った作品。戦中派・戦後派・戦無派の三人が新宿騒乱(10.21騒乱がモデルか)の中でやむにやまれぬ事情から家庭や職場を追われ、東京を飛び出し、貨物列車で一路博多へ。博多でお世話になったスラム街が再開発のあおりで立ち退きを要求される事態になり、いてもたってもいられなくなった彼らは立ち退き騒動に介入していく...というお話で、学生運動・新宿フォークゲリラや高度経済成長の歪みといった、岡本喜八作品ではあまり描かれない戦後史的視点が入ってくる。

この2作品、岡本喜八らしい部分とそうでない部分(五木寛之らしさ、とでも言おうか)が混在していてまことに妙な気分になる。まず、三人の人物造型についてだが、小林桂樹はさすがに喜八組常連だけあり『江分利満氏の優雅の生活』をさらに過激にしたキャラでとにかく動き回り物語を牽引する。岡田裕介は喜八映画出演数は全4本と少ないもののその若さと、仲代達矢を彷彿とさせるモヤモヤ感、そしていざとなったらいてもたってもいられなくなる性分という岡本喜八の若者への希望を仮託したようなキャラとなっている。問題はミッキー安川だ。彼はなにかといえば理論ばかりが専攻し、内にこもる、おまけにEDという喜八映画らしからぬキャラだ。これはどちらかといえば五木寛之色が強いキャラなのではないだろうか。(ぶっちゃけ喜八テイストに全く合ってない。)

物語にしても、前編『おさらば東京の巻』では喜八映画らしくキャラが己の任務を飲み込み、とにかくありったけの力を投入してぶつかっていく、というバイタリティ溢れる形ではなく、新宿騒乱に否応なく巻き込まれていく、という形であり、特に岡田裕介と藤岡麻里が巻き込まれる地下フォークゲリラなど喜八らしくない「異議なし!」「ナンセンス」という言葉が飛び交う。ところが小林桂樹がそこにやってきて歌を歌うあたりから俄然喜八らしさは戻ってくる。特に「この歌は10まであるんだ、俺はまだ5までしか歌ってねえぞ!」と怒り狂う場面など「やっぱこれだ!」と思うほどにエネルギーが暴発した名(迷?)場面である。
後半は打って変わって、強制立ち退きにミッキー安川は怒り、岡田裕介は大学へと飛び出し、小林桂樹は仁侠映画よろしく戦いに備える。そして中盤の激突場面などは『赤毛』の「ええじゃないか」も若干思い出すロングショットにより渾身のぶつかり合いを捉えている。一方で岡田裕介と藤岡麻里のラブシーンの生々しさなどは前期喜八作品にはなかったものでロマンポルノの影響下にあるような気がしてならない。どうでもいいが田中邦衛が出ると画面が締まる。

それでも、ラストの結局立ち退き・殴りこみも中途半端な結果に終わり丸め込まれつつ旅を続けるラストには何かしらのモヤモヤが残る。立ち退きをサラっと流してしまうあたり多くの喜八作品に見られる「弱者へのやさしい視点」が欠如してるように見えてならないのだ。これが原作の五木寛之の持ち味だといってしまえばそれまでだが、「らしくない」終わりである。

ただ、この映画(2本で1本)は『肉弾』『ダイナマイトどんどん』よりも後、『近頃なぜかチャールストン』よりも前の微妙な時代を描き出しており、上手く言語化は出来ないが、(描写時代順的に)『赤毛』『吶喊』にはじまる(場合によっては『戦国野郎』を含む)喜八歴史観の中でも重要な位置を占めているような気がするのである。
仁侠映画との繋がりという点で行けばやはり『ダイナマイトどんどん』(1978)とのつながりも気になるが長くなりそうなので止めておく。
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『終の信託』

11 15, 2012
2012年・制作:フジテレビ=東宝=アルタミラピクチャーズ 配給:東宝
原作:朔立木
脚本・監督:周防正行
出演:草刈民代、役所広司、大沢たかお、浅野忠信、中村久美 ほか

周防監督、劇場用長篇としては5年ぶりの新作(2011年に『ダンシング・チャップリン』を監督)。『Shall We Dance?』のコンビ再びだが今回は全体的に重苦しく、ハードな作風に。
映画の2/3は、役所が草刈と親交を深め、やがて死ぬまでを描いているが、ややまったり過ぎて「私のお父様」が流れるところでややウトウトしてしまった。後半1/3は打って変わって検事との攻防となり、裁判物の変形といった様相を呈してくる。自分は法学に関しても医学に関してもからっきしなので内容自体については特に触れないが、大沢たかおはややオーバーアクトかな、と思った。大沢たかおと浅野忠信のキャスティングが逆の方が面白かったのではないか。
ただ、検事室(?)の場面は夕方から夜にかけてという設定もあるのだが、大沢と草刈が対峙している場面でだんだんと部屋が暗くなってくるライティングが素晴らしく、またラストに草刈が逮捕されて廊下を歩くシーンも緑のライトが効果的に使われており、素晴らしい。

問題なのは、やはり先ほども言った様に自分のような法律に関しても医学に関してもズブの素人である人間から見て、役所と草刈の交流というものが草刈が最後に取った行動といまいちリンクしてこない、つまり交流自体は丹念に描かれているものの草刈自身が何を考えているのかよく分からない、という点である。
おかげで大沢との対決でも草刈自身が言っていることがいまいち不明瞭で我々観客には、言葉以上のメッセージ性を有さない、という大変残念な結果を生んでいる。
また、草刈の自殺未遂に関しても、その後とイマイチ密接にリンクして来ず、大沢検事の台詞で初めて意味を成してくる、というチト悲しい顛末になっている。そもそも浅野忠信との不倫セックスシーンは、はっきり言って草刈民代の裸が見られるというサービスカット以外の意味を持たず、ごっそりカットされても特に問題はなさそうで残念。最後をスーパーインポーズでまとめてしまったのも時間配分の失敗ではないかという気もする。

と、不平不満を長々と書いてしまったが草刈と役所の交流は基本的にFIXで捉えられ、静謐ながらも二人の会話に緊張感が満ちている。特に役所の気管支喘息演技は凄い。後半も大沢との1対1の対話はカッティングの切れやライティング、音響に至るまで前半の暖かさとは真逆の冷たい空気感の中で緊張が持続する。

全体としてみれば力作であるし、そこそこ面白いのだが、一方で苦しい部分が目立ってしまっている、という印象が強く、『それでも僕はやってない』には及ばないと感じた。

それにしても、今作も『ダンシング・チャップリン』に近い入れ子構造の形を取っているのは面白い。また、原田眞人『わが母の記』との比較も面白そうである(小津に対する思い、「大人の」ドラマという問題、など)。
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